【ホンマでっか!?TV】50代なのに美しい君島十和子の経歴は? 夫や娘たちに迫る

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8月31日の21時から放送されるホンマでっか!?TVは【美は努力!奇跡の50代軍団が語る日々の努力とは?】特集!50代なのに美しい方々が大集合して美について語ってくれます。

そんな、奇跡の美貌を持つ君島十和子さんについて見て行こうと思います。

【美のカリスマ】君島十和子さんのプロフィール

  • 別名義: 吉川十和子、吉川とわ子
  • 生年月日: 1966年5月30日
  • 出身地: 東京都豊島区
  • 最終学歴:日本女子大学付属高等学校卒業

中学時代より、「吉川とわ子」の芸名で雑誌『mc Sister』にてモデル活動をしており、高校時代には『雑誌セブンティーン』にも2回掲載されています。1985年には「’85JAL沖縄キャンペーンガール」に選抜。翌年には、雑誌『JJ』の専属モデルとなっています。

1988年、NHK銀河テレビ小説『新橋烏森口青春篇』で女優デビューを果たし、以後はドラマや映画、舞台などで幅広く活躍していました。

1995年に君島誉幸さん(旧姓君島明さん)との入籍を発表、現在は夫が代表を務める君島インターナショナルのスーパーバイザーとして活動する傍ら、自身でも化粧品ブランド「フェリーチェトワコ・コスメ」のプロデュースを行っており、50歳とは思えないその美貌で「奇跡の50歳」としても注目を集め続けています。

2017年には、ドラマ「セシルのもくろみ」にて、”君島十和子”という本人役でゲスト出演し活躍していました。

誉幸君島さんとの結婚と君島家お家騒動

1995年12月11日に日本のオートクチュール界で名高かったファッションブランド「KIMIJIMA」の創始者・君島一郎さんの息子である君島誉幸(当時は君島明)さんと入籍しています。

君島誉幸(きみじま・たかゆき)

  • 生年月日:1965年3月19日
  • パリの社交界や日本の皇族も御用達のブランド「KIMIJIMA」の息子ということで、十和子さんとの結婚時には注目も集めましたが同時にスキャンダラスな事実が発覚し騒動に。
  • また、以前は医師をしていたこともわかっています。
  • 最初は佐藤明の名でそこから君島明へと改名し、現在は君島誉幸となっています。

十和子さんと誉幸さんの出会いは1994年、当時「KIMIJIMA」の副社長を務めていた誉幸さんが週刊『女性自身』の記者にブライダルコレクションのゲストモデルとして、誰かいい人がいないか相談したことがきっかけでした。

そこで記者が推薦したのが当時は女優としても活躍していた十和子さん。
翌年2月にふたりは初めて顔を合わせますが、お互いの第一印象は共に「いまひとつだったそうです。

それでも打ち合わせや採寸、仮縫いと何度か仕事で顔を合わせるうちに、同年代のふたりは少しずつ打ち解けていき、’95年5月30日、十和子さんの29回目のバースデーに初デート。プロポーズは、初デートの翌月の6月だったようです。

「世の中は誰ひとりとして、祝福どころか賛成もしてくれない、そんな結婚でした」

’95年12月6日の婚約会見から2日後、お祝いムードを一変させる報道が流れた。それは、誉幸さんが以前付き合った女性との間に婚外子がいた、というものだ。売れっ子女優が嫁ぐ有名ブランドの御曹司が抱えていたスキャンダル−−。色めき立った芸能マスコミが連日、ふたりを追いかけた。

君島十和子 「誰も祝福しなかった結婚」と「夫の初印象」

誉幸さん自身も子供の頃はその事実を知らず、婚外子と知ったのは20代になってからだと言います。

誉幸さんは最初佐藤明という名前でしたが、その後「君島姓」を名乗れるようにと、誉幸さんの母親と一郎さんの母親が養子縁組を結んだことで誉幸さんは君島姓となっています。さらに、結婚発表から数日後に誉幸さん自身にも婚外子がいることが報道され、騒動になりましたが、十和子さん自身は婚約の時点ですでにその事実は誉幸さんから聞かされており、それでも結婚したいと納得したうえで結婚したため本人的には何でもなかったと語っています。

君島一郎さんの急死と遺産争い

誉幸さんと十和子さんが入籍してからわずか半年ほどで、一郎さんが急性心筋梗塞により急死。
ここから、一郎さんの借金問題や君島家の複雑な家族関係・人間関係が明るみとなり、さらに正妻の息子である立洋さんと明さんの異母兄弟2人の間で「君島ブランド」を巡って遺産争いが報道されます。

この騒動は連日ワイドショーで取り上げられ、華やかだった「KIMIJIMA」のブランドイメージは一気に失墜。売上は激減し経営状況も悪化、2000年代の半ばには全ての店舗が閉店し、「KIMIJIMA」は18年で幕を閉じることとなりました。

一郎さんの遺言により、結果誉幸さんが家業を継ぎ遺産を相続していますが、同時に莫大な借金も背負うこととなっていますが、現在はすでに完済していることも明かしています。

ですが、この騒動を本人たちは、お嫁に行った主人の母と毎日テレビを見て、何を言われているのかちゃんと見て、『あれは事実』とかひとつひとつ確認しあっていたら、家族の絆が深くなりましたと後に語っています。

君島十和子には娘が2人、長女は宝塚の男役・蘭世惠翔!

君島十和子さんと君島誉幸さんの間には2人の娘さんがいます。

長女は憂樹(ゆうき)さんで、次女は幸季(みゆき)さんです。長女の憂樹さんは2014年に競争倍率26・6倍の難関を突破して宝塚音楽学校に合格しており、現在は卒業して蘭世恵翔(らんぜ・けいと)の名で2016年3月に初舞台を踏んでいます。

次女の幸季さんも、2022年に女性ファッション誌『25ans』3月号で、君島十和子さんと親子共演を果たしましたが、現在芸能事務所に所属したという話はなく、モデルとしての活動も1度きりです。

今後どのような活動をしていくのかは明かされていないため、分かりません。

そして、「美のカリスマ」と呼ばれるように。

君島十和子さんは、2005年に「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」という化粧品ブランドを立ち上げ、その十和子さんの美貌や生き方からも大人気ブランドになっています。

人によっては、女優をやっていたころよりも今の方が美しいなんていう人もいるほどに、美を追求している君島十和子さんに憧れる女性もたくさんいます。

まとめ

  • 中学時代より、「吉川とわ子」の芸名で雑誌『mc Sister』にてモデル活動
  • 1988年、NHK銀河テレビ小説『新橋烏森口青春篇』で女優デビュー
  • 「KIMIJIMA」の創始者・君島一郎さんの息子である君島誉幸(当時は君島明)さんと入籍
  • 夫・君島誉幸さんは婚外子、自身も婚外子が居ることが騒動になるも、納得したうえでの結婚
  • 「君島ブランド」を巡って遺産争いが報道されるも、お嫁に行った主人の母と一緒に事実確認をしていたら、家族の絆が深くなる。
  • 君島十和子さんと君島誉幸さんの間には2人の娘さん
  • 「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」という化粧品ブランドの立ち上げ
  • 君島十和子さんに憧れる女性もたくさん

そんな君島十和子さんのこれからの活躍を期待しています。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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