【情熱大陸】大繁盛のおにぎり屋さんぼんご 一時閉店し、十月十日にオープン 女将の魅力とどうして閉店するのか?

テレビ

9月11日 放送の情熱大陸にて取り上げられるおにぎり屋さんのぼんご。

ぼんごとはどんなお店なのか?

どうして、一時閉店したのか?

調べて行きたいと思います。

素敵な女将が魅力の大繁盛店

ぼんごといえば、女将さんの右近由美子さん。

1976年にぼんごの店主である右近祐さんと結婚し、以後ぼんごの顔としてお客さんの前でおにぎりを握るようになりました。

和太鼓の演奏が趣味で、店名の「ぼんご」も由美子さんのご主人・祐さんが「遠くまで鳴り響いて、お客さまに来ていただけるように」と打楽器のボンゴから命名したのです。

元々は、ぼんごの常連客だった由美子さん。

新潟から東京に働きに来ていた由美子さんは、「東京にはおいしいご飯がない」と感じていたという。そんな折、友達に「ぼんご」を紹介され「なんておいしいのかしら!」と、たちまち「ぼんご」のおにぎりに魅了され、通い詰めました。

最初は作る側より食べる側になるつもりだった由美子さん。でも、店主にうまくのせられて店を手伝うようになり、7~8年経ったころ、突然『明日からにぎれ』と言われたようです。

ただ、人見知りだった由美子さんにとって、当時お客さんの目の前でおにぎりをにぎるのは、かなりのプレッシャー。1週間で胃潰瘍になったそうで、由美子さんも「ずっと伏し目がちで働いていました。お客さまと視線が合うと何か言われそうで、目を合わせるのが怖かったのです。」と語っています。

しかし、握り始めて十年ほど経った頃、突然、『いける。私のおにぎり人生、よし』と思える日が。

「うまく言えませんが、お米の声が聞こえるようになったのです」と由美子さんは語ります。

管理人もこの気持ちは何となく理解できて、同じ仕事を何度も続けていると、急に何かカッチリと自分の中で嵌まる瞬間ってあるんですよね。由美子さんにもそれが起きたのだと思います。

その日を境に、顔を上げておにぎりがにぎれるようになった由美子さん。

顔を上げておにぎりを握るとお客との会話も自然と増えてゆく。

「お米、炊き方、にぎり方、海苔、具材……すべてにこだわりがあるけれども、それは私たちのこだわりではありません。お客さまのこだわりなんです。嫁いだときは20種だったおにぎりが今、57種まで増えたのも、お客さまのご要望に応えたから。『冷めたら硬くなる』と言われ、冷めてもおいしいお米を新潟の棚田で探したり、『海苔が噛み切れない』と言われれば、歯切れのよい海苔を探す。この店は、お客さまが育ててくれたお店なんです」

お客との会話から得たヒントをうまく取り込んで、徐々に有名になっていったぼんごはついに行列のできる繁盛店へと成長し、様々なテレビで紹介されるようになります。

一時閉店、どうして?

そんなぼんごは9月10日をもって一時閉店しました。

それはどうしてなのか?

元々ぼんごはL字形のカウンターに12席だけの店。開店当初から、注文を受けてからにぎるスタイルを貫いているのですが、おにぎりのあまりの人気に直近では車の行き交う交差点近くまで行列が伸びることが増えていたと言います。

握りたてのおにぎりを温かい状態で提供することにこだわりながら、お客の行列が長くなり過ぎないように、とお客の事を思っての閉店を決めたのです。

オープンは10月10日の予定で新店舗の移転先は、現店舗から南東へ徒歩1分の近距離。

おいしいおにぎりが、とうぶん食べられなくなることは寂しいですが、私達お客の事を思っての一時閉店です。

10月10日のオープンを楽しみにしたいと思います。

まとめ

  • 人気おにぎり屋さん「ぼんご」9月10日に一時閉店
  • 再開は10月10日
  • 女将の右近由美子さんがぼんごを人気店に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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